ロックミュージシャンなどがクスリに走るケースなどで、しばしば「創作に行き詰まって」というフレーズを耳にします。ハッキリ書くなら、要するに、音楽の能力の低い人、素人が、格好だけミュージシャンしていることが間違いの大本と思います。

 なーんて、こんな風に慶應義塾大学の授業などで断じますと、大半のケースで学生から反発が来ます。自分が好きなアーティストを、壇上の教師風情、と思っているやろうが「才能が足りない」などというのは面白くないでしょう。このコラムでもそういう可能性はあると思います。

 しかし、例えばマイルス・デイヴィスのような人も、彼の場合、音楽の能力というよりメンタルな面が強いですが、私の従兄弟、ジャズ・ジャーナリストで整形外科医でもある小川隆夫が、主治医として付き合った、一患者としてのマイルスの話を聞くにつけ、弱い人間の面を如実に感ぜざるを得ません。そこで、

 「彼(彼女)はアーティストのデリケートな感覚は、現実に耐え切れなかったんだ。それでクスリの力を借りて・・・」

 などと美化しては、絶対にいけないのです。やはり何かが足りなかった。それは厳然たる事実です。

   ファンは美しそうなストーリーを考えたがるものです。それはファンというマインドコントロールの状態にあるからアバタもエクボに見えるのであって、実際には前回も記した通り、汚くて、臭くて、年より老け込んでしまった、シャブ中のうすら寒い、悲しい現実があるだけ。

 変に美化したドラッグ伝説は、若い人が道を踏み外すキッカケを作りかねませんので、明確に「才能不足」など、教室ではくだらぬイリュージョンを粉砕する表現を取るようにしています。